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革新自治体:熱狂と挫折に何を学ぶ

 地方自治のなかだけでなく、政治を語るときであっても「革新」という言葉は聞かれなくなって久しい。地方議会や首長を選ぶ選挙で、政党が対立する経験もない人がいるかもしれないし、そもそも地元の選挙など興味がないという人もいたりするのだろうか。そんななかで、1960年代から日本に誕生した「革新自治体」を扱った、岡田一郎(2016)『革新自治体:熱狂と挫折に何を学ぶか』中公新書を読んだ。

 

革新自治体 - 熱狂と挫折に何を学ぶか (中公新書)

革新自治体 - 熱狂と挫折に何を学ぶか (中公新書)

 

 

  地方自治で関心が高まったというと、明日投開票の2016東京都知事選挙や、昨年行われた大阪市長大阪府知事選挙などであったが、そこでも革新(共産党社民党など)と保守(自民党など)の対立は注目されず、あくまで候補者どうしの選挙戦であったり、維新対その他という対立軸であったりした。そのような現代で、何を革新自治体の歴史から学ぶことができるのか、というのが本書のテーマである。

 

革新自治体はいつ成立したのか

 革新自治体は、すでに歴史の教科書の1ページとなりつつあるのかもしれないが、実際にいつごろ革新自治体ブームがあったのかが争点となる。1960年代から1970年代に成立した革新自治体では、「経済成長優先の自民党政治に対抗して福祉優先の政治が提示され、地方議会における革新性力の脆弱性を克服するため、住民の意見を吸い上げる直接民主制的な手法が模索」(p.iii)されたが、その試みは阻まれ、公務員優遇で福祉拡大で財政赤字をもたらしたとのイメージをもたれてしまっている。

 実際にいつを革新自治体誕生の起点とするのかには、論争があるようで、1963年説と1967年説がある。1963年は、北九州市大阪市横浜市の選挙で革新勢力が勝利した年である。しかしながら、著者である岡田一郎はこれに対して1967年を起点と考えている。1967年は、東京都知事選で美濃部亮吉が当選したときであり、それ以降に革新自治体の時代がはじまったと考えている。実際、美濃部の支持というのは高かったようで、初登庁時には3000人の市民が出迎えたそうである。

 

地方自治と中央政界との関係

 革新自治体は、経済成長を優先し、公害問題や社会インフラの不足をもたらす政治への不満を革新勢力が取り入れて成立していった。しかしながら、経済成長が永遠につづくわけではないなかで、赤字財政が批判され、次第に廃れていったとなっている。しかしながら、それだけが原因ではないようだ。この時代の革新政党というと筆頭は社会党であるが、中央と地方との間で連携がとれていなかった。たとえば、席が一つしかない首長選挙は比較的政党間の連携協力がとりやすいが、議員選挙となると事態は変化してくる。そのあたりの事情を考慮に入れず、一人勝ちを画策しようとするなど穴の多い運営が勢力の弱体化を招いた側面もあるようである。

 実際、本書を読んでいて、地方自治の話にもかかわらず、政党の中央部や国会、総理大臣との関係が出てくるのが意外であった。実際本書の前半部は50年代から60年代の日本の政治状況についてかなり触れられており、そのあたりの事情を理解して置かなければ地方自治についても理解することは難しそうである。