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はもすきが好物です

本との間で対話が成立するようなブログを目指したい

君の名は。

映画

 本日お休みだったので、今話題の「君の名は。」と「シン・ゴジラ」を見てきました。今回は「君の名は。」について書きます。一応ネタバレ注意です。たぶん、ややこしい感想になってます。

 正直ナメてました

 正直映画を見る前は「どうせキャッキャウフフな感じの恋愛映画なんやろ」くらいに思ってましたけど、蓋を開けてみると、実に「すごい」映画だと思いました。この場合の「すごい」というのは、映画のなかのある要素について、極めてすぐれた描写を行ったという点に対してです。なのでストーリーがおもしろいとか、キャラクターが魅力的とかはいまいちよく覚えてなくて、映画の間ずっとそのことを考えていました。
  私が「すごい」と感じた映画のポイントは、「入れ替わり」という事態の描き方です。この映画では二人の主人公宮水三葉と立花瀧の人格が入れ替わってしまい、お互いの生活を送りながら、その存在を知っていくというのが物語の序盤です。

入れ替わりモノ

 人格(魂?)が入れ替わってしまうという事態は、フィクションの世界ではありふれたもので「あたしんち」の劇場版でもありましたし、他にもマンガやアニメのなかでキャラクターの人格がシャッフルされてしまうというエピソードは決して珍しくはないと思います。ありがちなパターンとしては、別の肉体に宿った精神体が、転移先の外見に合わせた生活をしてうまくいったり、トラブルを起こしたりしつつ、もとの身体に戻る方法を模索するというのが考えられます。そのとき、それぞれの人格は、自分が他人の体で何をしていたのか、どのようにふるまっていたのかを完璧に記憶しており、また人格がオリジナルの肉体に戻ったときにも転移していた期間の記憶を保っています。
 人格が入れ替わっても別の肉体での経験や記憶を保持し続けるということは、特に違和感がないように思えます。つまり、私という個人の意識は常に一定に保たれており、それが魂のように肉体の間を行き来しているという事態をわれわれは特段の矛盾がないものとして考えているのです。しかし、「はたしてそうでしょうか?」ということを「君の名は。」は描いているように思います(もちろんそれが新海誠の意図なのかどうかは知りません)。

映画の中での入れ替わり

 映画中での入れ替わりについて説明すると、入れ替わり先においては、二人とも自分が肉体とは別の人間であるという意識を保っています。そして、入れ替わり期間中に、相手がもともとの自分の身体を使って何をしているのかについて直接知覚することはできず、スマホのメモ等によって共有を図っています。しかしながら、物語終盤においてストーリー上重要な出来事ののちに入れ替わりは起こらなくなります。そして、入れ替わっていたとい事態が記憶からどんどんと消え去っていき、お互いの名前もわからなくなります(タイトルの意味はこの辺にありそうですね)。この「お互いのことを忘れてしまう」ということが極めて重要なことだと思います。
 お互いのこと忘れてしまったけれども、それをはねのけて二人は愛しあうというのは物語としては想像しやすいです。それは、先程も述べたように「他人の身体においてもわれわれの意識は私としての経験を保つ」ということを当たり前に受けれいているからです。なので、映画を見た人たちは「忘れてしまうことが特別なこと」「忘れてしまうことが物語を進行させる契機」と捉えるかもしれません。しかしながら、私にとっては序盤の「相手先での経験をもとの肉体でも保持していた」という事態のほうが特別なことなのです。

ややこしい話

 われわれは、他人の身体になったとしたら、もともとの身体ではなく、転移先の体を通して生きていくことになります。映画に当てはめて考えると、三葉(の意識)が瀧(の身体)に転移した瞬間から三葉(の意識)は瀧(の意識)になるのです。このあたりの内容については、永井均(2016)『存在と時間――哲学探究1』文藝春秋を受けて述べている。もっとも、この本の内容についてはわかっていないことのほうが多いので、多分に誤りを含んでいる可能性が高い。とはいえ、われわれが他人なったとしても、だからといって何も変化はおきないのである。ただ単に、私という視点が三葉から瀧に移っただけである。そこに意識や思いの変化は生じえない。だからこそ、序盤の転移先での記憶を保つということは極めて特殊なのである。

 そして、忘れてしまい、入れ替わっていた時期のことは夢であるというのは、かなり入れ替わりについての正確な描写であるように思われる。すくなくともアニメーションでこういうような表現をした最近の例について私は知らない(昔の作品であったら教えて下さい)。

 

まとめ

 とにかく言いたかったことは、意識が入れ替わるということについて、相手先のことを覚えているのが物語において特別なことであって、忘れている(そもそも意識されない)ということのほうが自然なので、よくある入れ替わりモノとは逆転の構造になっているのではというのが、素人目での感想です。上映中そのことばかり考えてました。

 本当はもっといろいろと言いたかったのに、よくわかんない感じになってしまった、