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英語授業の「幹」をつくる本 下巻

 昨日の上巻に引き続いて、本日は下巻です。下巻ではさまざまな指導に加えて、評価や学習環境の話にまで言及がなされています。

 

英語授業の「幹」をつくる本 (下巻)

英語授業の「幹」をつくる本 (下巻)

 

 

文法指導

 すでに文法訳読式が批判されて久しく、いまさらわざわざコミュニカティブ・アプローチの重要性については述べるまでもないとおもわれる。しかしながら、コミュニカティブ・アプローチが原因かどうかは不明ではあるが(おそらくは別の要因が多分にある)、高校の教師たちは生徒たちが基本的な文法や辞書の引き方を知らないと嘆いているという(p.21)

 議論は「文法かコミュニケーションか」という二者択一で展開するのではなく、両者の力をつけるためにはどのようにすればよいのかという点になるはずである。その意味では北原先生の文法指導やリーディング指導、ライティング指導は非常に勉強になる。

 

 文法指導では、いたずらに文法用語を弄して生徒を困惑させるのではなく、「板書で既習文法を穴埋め問題形式にして、生徒とコミュニケーションを取りながら、既習文法の復習をしつつ新出文法を導入するやり方」(p.22)が紹介されている。結局のところ文法を学ぶということは、文法を知るためにではなく、外国語を使えるために行われるはずである(すくなくとも中高の外国語の授業ではその点が強調されると考えられる)。そのため、教科書のセクションごとに新出文法のみを導入するのではなく、過去に学んだことを繰り返し繰り返し提供することで、より定着がはかられるはずである。

 

英語教室の整備

 もう一点ここで述べておきたいことは、英語教室についてである。北原先生は英語教室を英語教師の人数分だけ用意するという。生徒たちは自分が授業を受ける教員のもとへと向かうアメリカのドラマなどで見られる方式をとっている。アメリカ式と呼んでいるが、日本でもこのような形式の授業はある。技術の授業なら技術室へ、家庭の授業なら調理室や被服室へ、美術の授業なら美術室へ、音楽の授業なら音楽室へ、体育の授業なら体育館やグラウンドへというように、いわゆる副教科や実技科目と呼ばれる授業ではその学びにもっとも適した環境が用意されている。特定の教室に入ることで、気持ちもその科目をするということに切り替わりやすくなる(美術室で家庭科をするとは思わないだろう、してもいいだろうが)。

 このような点から見たときに、専用の英語教室を用意して学習環境を整えることは有効だろうし、自分の教室を持っているということはそこの責任を、あたかも一国一城の主のようにもつので、いろいろと工夫の余地も現れてくる。今後も英語専用教室の整備が広がればよいのに。というか、ホームルーム方式を見直すときなのかもしれない。

 

感じたこと(上下巻含めて)

 上下巻を読んで勉強になることばかりであった。いかに自分の知っている範囲が、自分だけの経験に基づいているのかを再認識した次第である。とくに感銘をうけたのは、一回の授業で完璧習得することを目指すのではなく、だいたいな出来を毎回の授業で行っていくということである。極論を言えば卒業時に確かな力がついていればよいのであるから、なにもその日の授業で完璧にマスターする必要はないのである。自分の行いを強く反省して、今後に活かしていきたい。